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SSRブログ

SSR(桜ヶ丘商店会連合会)ブログは連合会会長が書き込んでいます!
会長オススメのお店や、せいせきのスポット紹介など更新していきます。

2006/12/27

いつまでも折りに触れて...


 

 今年もあと残りわずか。この数日を最後に閉店するお店があります。それは中央商店会会員《マキ洋品店》です。
 【会長】がモノゴコロついた昭和30年頃には、すでに営業していましたから、今年で創業50年程になるのでしょうか。
 当時、多摩村の人口は六千人位。駅周辺は、南多摩郡多摩村関戸字入江と呼ばれていました。京王線は多摩川の単線の鉄橋を渡った後、今よりも大きなアールでカーブしていて、聖蹟桜ヶ丘駅は、現在より40〜50メートル南の《カメラ・ビデオ かまはら桜ヶ丘店》と《セブンイレブン聖蹟桜ヶ丘駅前店》を結ぶ辺りにありました。電車は、各駅停車が3両編成で運行されていたような時代でした。
 前時代的な和装・呉服屋さんが、駅の近くにまだ複数あった頃、《マキ洋品店》は洋装品を売る貴重なお店でした。

                   ☆

 そして昨日、やはり中央商店会会員・寿司《しんかい》も今月いっぱいで閉店という話を聞きました。

                   ☆

 《マキ洋品店》と寿司《しんかい》が、聖蹟桜ヶ丘における商いの歴史を静かに閉じるまで、あと数日。潮が引いた後のように、また街が少し寂しくなってしまいそうです。

 私達は、なつかしい人々を思い出す事にしましょう、いつまでも、いつまでも折りに触れて...。

【Text by 会長】

2006/12/26

Silent Night, Holly Night.


 

 多くのクリスマス・ソングが街中に溢れていた昨日、今はもう午前零時をまわり、今年のキリスト降誕祭も遥か時間の彼方へと遠ざかりつつあります。

 さて、日曜日のイヴを一人で過ごした人の中には、翌日のクリスマス・デイが、思いもよらぬ突然の出会いの日となった人もいるかもしれません。
 いかがでしたか? 今年は良いクリスマスになりましたか?

 昨日よりも今日、今日よりも明日、自分の思う幸福に少しでも近づけるよう、それを求める気持ちをいつも持ち続けていたいものです。

【Text by 会長】

2006/12/25

伏して心よりお願い申し上げます。


 

 南口商店会、中央商店会の年末謝恩セール抽選会は両者とも本日(24日)無事終了致しました。
 抽選にご参加頂いた消費者の皆様-----各商店会で沢山お買い上げ頂いた消費者の皆様、今年もお近くの桜ヶ丘商店会連合会加盟各店をご愛顧頂き、心より御礼申し上げます。誠に有難うございました。
 これからも消費者の皆様方の《手近な便利》にお答え出来るよう、加盟各店、必ず頑張って参ります。どうか新年も桜ヶ丘商店会連合会加盟店をご贔屓にあずかりますよう、連合会長、伏して心よりお願い申し上げます。

【Text by 会長】


(注)写真の抽選所(中央商店会)のアルバイトのお嬢さん達は、今回から代が変わりました。東京造形大学に通う、未来のデザイナー、アーティストのサナギです。とりあえず【サナギ軍団】と呼んでおきましょう。
 このお嬢さん達には、これから数年、駅周辺の抽選所で会う事が出来ます。

2006/12/24

日本の幸福 (ニホンのシアワセ)


 

 中央商店会、南口商店会、共に今日(23日)・明日(24日)、恒例となった歳末謝恩セールの抽選日である。それぞれの商店会のもつ雰囲気どおりの抽選所模様が伺えた-----写真左のサンタがいる方が南口商店会抽選所、右が中央商店会抽選所である。
 抽選日がもう一日あるので、抽選券の回収具合など、集計結果は後日の報告に譲るとして、両商店会とも例年以上のご繁盛であることを信じておこう。

 さて、1970年以前ならば、このままクリスマス、大晦日と商売のクライマックスを迎え、そして日本中で静かな三箇日を迎えたものだ。ところが、1970年以降、一部のスーパー、一部の百貨店が始めた元日、あるいは二日からの営業について、少し書いておきたい。

 三箇日のうちに商売が始まれば、お年玉で欲しかった念願のモノを買おうと子供達は歓迎しただろう。親だって、テレビの在り来りのお正月番組を見るより、散歩がてら福袋を買いに行く楽しみもできたろう。しかし、《都会でサービス業に従事する者》にとって、それは《休日出勤手当という実入り》があるにせよ、《正月休みの静かな一家団欒の時間-----言わば日本人の幸福な時間》を失う事となった。
 新年早々から営業し、大きな収益をあげれば、当然、賞与等で従業員にも見返りがあり、誰もが当初は《一家団欒の時間を犠牲にして、収入を得る》事にとりわけ違和感は無かったように思う。
 しかし、三箇日からの営業を率先したダイエー、西武百貨店などのその後の顛末は、《隆盛》では無く《衰退》への道であった。そして、その過程で生み出された通年終業時間の延長は、ただでさえ少ない一家団欒の時間をさらに奪った。つまり、子供達にとっては、親の背中を見る時間が無くなり、《家庭内で親を見て、親から学ぶ、社会人としての規範》の学習機会は放棄された。これがすぐに非行だ何だに結びついたと言うような飛躍した論議にはしたくないが、それらが日本人の生活の伝統・文化・習慣・慣例を覆した事は確かだ。
 三箇日営業・終業時間延長が、実は顧客サービスから発生した訳では無く、今は崩壊した、あるいはしつつある企業の【膨大な不良在庫整理のための勝手な正月営業】が起源であった事を考えると、馬鹿げた経済行為による、伝統・習慣の破壊だったと言わなくてはならない。
 もし、私達が、日本の正月の習慣を取り戻そうとするならば、《フランスの長期夏季休暇》のように、国が法律で管理すべきでああろう-----特定の業種のみ三箇日の一日X時間以内の営業は認めるが、その他の業種の営業は禁止する、と。
 そういう事をしているフランスを、誰が怠慢な国と思うであろうか。

 ツルゲーネフの短編「猟人日記」に心に残る一節がある。日々、人と競争させられ、コマネズミのように働く事を強要され続ける都会人には、自分の生き方を考えさせられる一文かもしれない。

 《疲れたら休もう。彼らも、そう遠くへは行くまい。》


(注)ツルゲーネフ【Ivan S. Turgenev(1818〜1883)】
ロシアの小説家。人道的心情と詩的感受性に富む。「その前夜」「父と子」など時代の動きをとらえた作品も多いが、「初恋」「アーシャ」(二葉亭四迷訳「片恋」)など失恋を抒情詩のように描く作品に秀れる。(広辞苑第五版より)

【Text by 会長】

2006/12/22

なぜ、店内に強力な磁石を置くのか?


 


 ある隣接した地域のいくつかの商店会が連合し、商店会連合会として組織されているのは、多摩市内では聖蹟桜ヶ丘駅周辺だけである。
 何のために連合するのかと言うと、地域事業者集団としての各会員相互の親睦と繁栄・発展を目差す活動をするためである。そして、それは、最終的に、この地域を利用して頂くすべての消費者の得に結びつく活動でなくてはならない。そのためにも、私達が忘れてはならないのが、常なる《改善》である。

 さて、そんな事を踏まえて、昨夜、来年4月8日の《第26回 せいせき桜まつり》の企画委員会が招集された。今回は若い委員長なので、議場にも新鮮な空気が流れている。
 来春の《せいせき桜まつり》においで頂くお客様方には、前回とは、また違った新しい切り口の企画をご披露し、そしてそれを楽しんで頂けたなら、夜、お腹を空かせて集まり、準備した事も報われようと言うものだ。

                   ☆

 ところで話は変わるが、水道管が錆びついているのか、ウチの水道から赤い水が出る。飲み続けていたら、だんだん体が重くなってきた。きっと体内に鉄分が蓄積されているのだろう。そのせいだと思うが、このところ、強力な磁石が置いてあると思われる飲屋の前を歩くと、突然、店に引きずり込まれるようになった。
 こう見えても商店会連合会長の他にプライベートでは家長もやっているので、たまにはまっすぐ帰宅したい夜だってある。だのに、なぜ世の中の飲屋は、それを阻むかのように、店内に強力な磁石を置くのか?

 昨夜の《せいせき桜まつり》企画委員会の帰りも、この磁力に捕まった。

 連合会事務所のビルのある中央商店街地区が、他の地区と大きく異なるのは、迷惑千万な磁石設置店が大変多いと言うところだ。店に引きずり込まれないまでも、その磁力が影響して、歩くにも直進するのが難しく、ついつい蛇行してしまうのである。

【Text by 会長】

2006/12/20

お金返すから、ウチに帰して!


 


 世界の長い伝統ある国の例に違わず、日本の祝日も、古来、宮中行事に由来するものが多い。例えば、戦前、一月五日は《新年宴会》という旗日でした。この日、宮中では天皇陛下が主となり、政府・軍の高官を集めて宴をはられました。来臨した神々と人々が共に祝宴をはるという設定です。国家のその年の幸福を呼び込むための信仰行事が起源のようです。戦後は祝日ではなくなってしまいましたが、それは、民間に《習慣》として残りました。
 余談ですが、昔のお父さん達は、職場の新年会の帰りによく折詰にしたお土産を持ち帰り、家族に振る舞ったものです。そうする事により、家族もまた、神々と人々が共に祝宴をはった《お裾分け》にあずかる事ができた訳です。

 日本の伝統文化を踏まえて、これからやって来る新年宴会くらいは、いつものただの乾杯ではなく、国の平和と、国民みんなの健康と繁栄と健闘を祈って、乾杯したいと思います。そもそもこれがこの古くからある宮中行事《とよのあかり(豊明)》本来の目的なのですから。

会員「会長の《滅多に役に立たないムダ話ブログ》で宮中ネタなんか扱っていいんですか?」
会長「恐れ多くも宮中ネタと言うよりは、日本の伝統文化についてのウンチクだな、これは...」
会員「まあ、どうでも良いですけれど、もう遅いから、今日の忘年会は、そろそろこれでお開きにして帰りまショ」
会長「ダメだっ! このまま飲み続けて年を明かして、一気に新年会になだれ込む!」
会員「エーッ! 勘弁して下さいよ! まだ二十日ですよ、二十日?! 」
会長「ダメだっ! イイから座れっ!」
会員「お願い! お金返すから、ウチに帰して!」
会長「何を訳の判らない事を言ってるんだ! 飲み過ぎだ! 飲み過ぎ!」
会員「それは、あなたでショ!」

【出演 : 商連宴会社中もしくは秘密結社】

2006/12/19

まだ、決めてない!


 

 コナイダ、商連(桜ヶ丘商店会連合会)の今年最後の理事会を終えた。30分程報告を済ませて、恒例の忘年会になだれ込む。
 トコロガ、この数日前、緊張する場面があった。今年最後の理事会の日取りは先月すでに決めていたが、事務局が会場を「まだ、決めてない!」と慌てたのが当日4日前の午後九時頃。忘年会ハイ・シーズンの12月の第3週・金曜日の夜の会場を決めてない、これは弱った。今から15人ほどの席を確保出来るのだろうか?
 結局、おっさん達世代の忘年会幹事が、会場として真っ先に頭に浮かびそうもない店に頼めばどうにかなるかもと思って頼んだのが、京王ショッピングセンター8階、先頃リニュアル・オープンしたフード・コート《Quu!》のナチュラルスタイルビュッフェ食彩健美【野の葡萄】。家族的な店で、まだ宴会オジサン達の食指が動いていない繁盛店だ。とにかく会場を確保出来て一安心。さもなければ、路上自販機ワンカップ・スタンディング・ミーティングになるところだった-----そんなシチュエーションでも、ものともせずに出来そうなのは、連合会長含めて二人くらいしかいないけれど...。

 当日、お酒も入りますと、いつもながら皆さん良いお仲間ばかりで...、
会員「会長、この間、神経痛だとかで、昼寝も出来ないくらい痛がっていたけれど、その後いかが?」
会長「申し訳ありません。努力は致しましたが、皆様方のご期待に沿うに至らず、日々、激痛は快方に向かっております。」
会員「う〜ん、残念だー」
会長「いったい、どうしろって言うのさッ!」

 なお、【野の葡萄】は、ビュッフェ・スタイルだから《大好きなもの》しか食べないですむ。お母さ〜ん、これって、このお店の長所ですか? 短所ですか?
 いずれにせよメニューがとっても豊富なので、全部チョットずつしか食べないにせよ、いつもお母さんが言うような《身体のために全種類満遍なく食べる》などということは、ここでは絶体に出来ない。

【Text by 会長】

2006/12/18

涙のシャワールーム


 

 【会長】が30代前半で自社の営業部長だった頃、とある支店の店長から、女の子が一人求職しているから面接して欲しいと電話があった。
「部長が会って、良ければ採用したいんですが...」と店長は言う。
 支店の事務室に顔を出すと、店長と小柄な女の子が一人、座って待っていた。
 その彼女を見た途端驚いた。当時、レコードを全部持っていたほどファンだった、あるアイドル・グループのうちの一人だったのだ。しかも、まずい事にボクは、その彼女のファンなのだった。

 と言う訳で、ボクには、彼女を《不採用》にする理由はなく、彼女は、めでたく採用となりました。

 そのグループは総額40億円デビューと言われた、所属プロダクションのイチオシのグループで、詳しく事情は訊きませんでしたが、彼女にとってはかなりのオーバー・ワークだったようで、この少し前、腰を痛めてグループを抜けたばかりでした。残念な事に、テレビ・ドラマの主題歌にもなった最初のヒット曲「Bye-Bye ガール」が、ちょうどヒット・チャートを登り始めた時でした。

 弊社には2年ほど勤めてくれていたと思います。何しろ【会長】は、彼女の前では、ただのファンでしたから、在籍中、会うたびに緊張して、ほとんど会話をした記憶がありません。
 その後、彼女は、弊社の支店の斜向かいの美容室に勤めていた幼なじみの男の子と結婚したと聞きます。
 今では30代の後半になるかと思いますが、元気でいますか? 市川さん?

 YouTubeで、なつかしいあなたを偶然見かけました。

http://www.youtube.com/watch?v=zot2PeAMTgQ&mode=related&search=


 スタジオ録音のシーンで、真ん中で歌っている、一番小柄なのが彼女です。

【Text by 会長】

2006/12/16

音楽よ、私の人生を...


 

 元気のない時、好きな音楽のお陰で未来が開け、救われた気持ちになった経験がある人は多いことでしょう。
 また、芸術家などクリエイティヴな仕事をする人の中に、ひとつの仕事を終えるまで、同じ曲を何度も何度もエンド・レスでかけ続け、イメージを膨らませる一助にする作家も少なくないようです。
 いずれにせよ、音楽が人生のプラス方向に働いても、マイナス方向に作用した話は滅多に聞きません。ただ、一、二度、女の人から「あの日・あの時・あのロマンティックなメロディーが聴こえていたせいで、つい訳が判らなくなって、うっかりプロポーズを受入れてしまった。音楽よ、私の人生を返せ!」という、音楽が犯した数少ない罪について聞かされた事があります。

 音楽とは、きっと、そういうものなのでしょう。

《音楽は、あらゆるものの中で一番啓示に富む》・・・これは楽聖ベートーベンの言葉です。

 今日、12月16日は、ベートーベン、236歳の誕生日。第九のコーラスが聴こえてくるのも、もう間も無い。

【Text by 会長】


(注)【啓示】・・・さとし示すこと。特に(キリスト教で)人知ではわからないような事を、神が現し示すこと(岩波国語辞典第六版)。

2006/12/14

松乃屋で最後に食べたもの


 

 「今日が人生最後の日だったら、あなたは、どんな食事をしますか」とか「誰と何をして過ごしますか」などは、余興の言葉遊びとしてよく語られるものだ。もし選択が許されるならば、私は、次にあげるものを最後の食事としたい。

【冷奴】もしくは【湯豆腐】・・・鰹節の臭いは、淡泊な冷奴の味わいとは合わせたくないので避けて、薬味は、おろし生姜、紫蘇、ミョウガなどだけにしたい。湯豆腐は、刻みネギと醤油があればいい。
【お新香の古漬け】・・・旬のものを一、二種類。
【味噌汁】・・・納豆汁にしたい。
【白米一膳】と常温もしくは常燗にした【酒一合】。

 この時期、ある人達は、こんな最後の食事をしたと言う。
 鴨肉を6、7ミリにスライスして火で炙り、それを拍子木に切る。出汁醤油にその拍子木を加え、しばらく漬けて馴染ませておく。次に割り溶いた鶏卵に、その拍子木と出汁醤油を適宜加え、それを麦ご飯のどんぶり飯にかけて食べる-----言わば【炙り鴨肉入り卵かけ麦ご飯どんぶり】である。
 その時、全員が-----60代の最年長ですら-----5杯は食べたのに、15歳の最年少は3杯しか食べられず、先輩達に叱咤されたという。
 彼らはその後、談笑したり居眠りしながらひと時を過ごす。
 そして夜半過ぎ、鎖帷子-----今で言う防弾チョッキ-----まで着込み、完全武装集団と化した彼らは、集結していた深川の料理屋「松乃屋」を出発、江戸市外本所松坂町へ向かった。

 304年前の今夜半過ぎ(15日未明)、吉良邸は、赤穂浪士により強襲される。

 ところで、【炙り鴨肉入り卵かけ麦ご飯どんぶり】を再現してみようという方は、桜ヶ丘商店会連合会加盟の各ショッピングセンターの精肉売場の冷凍ケースをのぞいて頂ければ、鴨肉のスライスされたものを見つける事ができる。

【Text by 会長】

2006/12/13

ミス・ホリデイ・ゴライトリー、旅行中。


 

 オードリー・ヘプバーン主演、トルーマン・カポーティー原作の映画「ティファニーで朝食を / Breakfast at Tiffany's(1961)」がDVDになっても尚、ロング・セラーを続けている理由は、オードリー・ヘプバーンの可愛らしさのお陰である。脚本に関しては、原作のほとんどの部分を捨てて脚色したのが、かえって好結果につながった。

 初めて原作を読んだのは、高校生の時。ニューヨークの出版社・ランダムハウスのハード・カバーだった。

 トルーマン・カポーティーという作家の文体の特徴は、もちろん訳本では解らないが、一語一語適切な言葉を選び抜き、リズムと韻律を計算し尽くし、書かれている点である。

I'd been living in the house about a week when I noticed that the mailbox belonging to Apt. 2 had a name-slot fitted with acurious card. Printed, rather Cartier-formal, it read: Miss Holiday Golightly; and, underneath, in the corner, Traveling. It nagged me like a tune: Miss Holiday Golightly, Traveling.

《私がその家に移ってから一週間ばかりたったある日のこと、2号室に属する郵便箱の名札さしに、奇妙な名刺がさしこんであった。しゃれた字体で印刷してある文字を読むと、「ミス・ホリデイ・ゴライトリー」とあり、その下の隅っこに「旅行中」と記してあった。それは何かの曲みたいに、私の頭にうるさくこびりついた-----ミス・ホリデイ・ゴライトリー、トラヴェリング。(滝口直太郎・訳)》

 リズムのきれいな文章を書く事は、私の永遠の憧れだ。
  It nagged me like a tune: Miss Holiday Golightly, Traveling.
 大好きなこの一行のリズムは、原作の主人公《私》同様、私の頭の中で、今日も小さな鈴のように鳴り響いている-----Miss Holiday Golightly, Traveling.

 著作権が切れた映画のDVDは、オーパの《タワーレコード》、京王SC・B館の《すみや》で、今では1,000円を切った価格で手に入れられる。少し気が早いが、お正月休みには、このハート・ウォームな映画をお奨めしたい。

【Text by 会長】

2006/12/12

お湯の中でグラッと揺れる


 

 200年前、江戸は、世界唯一の人口100万人都市(今の香川県と同じくらい)であった。次にロンドン、パリと続くのだが、そちらの人口は確か80万人、65万人程度だったと記憶している。
 江戸の人口のうち、地方から出てきた者も含め、半分近くが独身男性であったから、当然、恋愛対象の若い娘さんなどは欠乏の極みであり、そちらの方の犯罪抑止のためにアチコチに岡場所が作られた訳だ。まあ、こんなウンチクはいいとして、話を続けよう。

 そんな独身男性の飯のおかずに豆腐は欠かせなかった。その頃のベスト・セラー本《豆腐百珍》は、今でも新潮社(新潮社、エライ!)から刊行中なので、本屋さんへ行ったついでに手に取って見て頂ければ、《やっこ、湯豆腐、揚げ出し豆腐、胡麻豆腐、卵豆腐》程度しか知らない現代人にとっては目からうろこの料理本である。

 江戸で一人暮らしの若者が、ハラハラと雪の舞う寂しい冬の一夜、故郷の家族を想い、目の前に置いた暖房機を兼ねた七輪に炭をくべ、そこに小さな土鍋か鉄鍋を乗せ、昆布を敷いて水を張り、木綿豆腐が煮えてお湯の中でグラッと揺れる直前に引き上げ、薬味を乗せ、醤油を二、三滴垂らして口に運べば、寒い心をさぞかし温めた事だろう。扇に切った大根も一緒に煮れば、美味しさ百倍も決して大げさな話ではない。勿論、燗酒は忘れる訳にはいかない。

 桜ヶ丘商店会連合会には伝統的な本格豆腐店が加盟している。それは、中央商店会の《和泉屋豆腐店》である。

【Text by 会長】

2006/12/11

「帰りたくない!」は、書き直せない。


 

 いつ何時、急な仕事が入り、ブログを書く時間が取れなくなるといけないと思い、若干、原稿のストックをしていた。ところが、2日ほど前にそのフォルダが見つからなくなった。どうも、手違いでまるごと捨ててしまったようだ。
 かつて、ウッカリ捨ててしまったファイルを復元するソフトを持っていたが、過去20年弱で3回程しか使わなかったので、今は新しいOSに対応したものを用意していなかったから慌てた。

 ハード・ディスクのデータは、まるごと他のハード・ディスクにバック・アップするのがベストだ。いつも持ち歩いているハード・ディスク(マックは外付けのハード・ディスクから起動出来るのだ)のフル・コピーを4台のハード・ディスクにコピーして、しかも異なる置き場所に持つようにした。これで都合5つのコピーがある訳だから、たとえどんな災害が来ようとも、よもや5つ全部のコピーを失う事はないだろうと思っている-----何しろ過去の仕事のファイルもすべて入っているので、迂闊に無くすと税務署にも叱られる。

 と言う訳で、そのブログ原稿のフォルダは、まだバック・アップを作る前に捨ててしまったようだ。
 急遽、マック用ファイル復旧ソフト《ファイルサルベージ 5 》を京王アートマンの《さくらや》から手に入れてきて試した。

 結局、しかるべき理由があって、ファイルは取り戻せなかった。

 そもそも1000字位のブログなのだから、サッサと書き直せばいいじゃないかと思われるだろうが、この手の短いコラムのようなブログでは、第一稿のワクワクするようなライブ感覚は、もう2度目では復元出来ない。だから書き直せない。

 無くした原稿のテーマは、お正月休みにでも読んで頂きたい目出度い1冊の本のご紹介。書名は「帰りたくない!」茶木則雄・著、光文社《知恵の森文庫》刊であった。
 弱いくせにギャンブル好き。今日も負けたために、奥さんが怖くて、家に「帰りたくない!」と叫んでいる、インテリだが超マヌケな男のお話。
 抱腹絶倒の笑いの大波が、今、まさに私達に襲いかかろうとしている。

【Text by 会長】

2006/12/09

Macをはじめよう。


 

 知っている方からメールを頂いた。
 これから【会長】の残された半年ほどの任期中に、会長が加盟店にまつわるブログを毎日書いたとしても、数からしてネタ切れになる事はないだろうが、普通一人の人が日常生活を営むのに、行きつけの店が何百軒も必要ないが、【会長】は、この先、ネタ仕込みに全店を回る計画か、と言うご質問であった。
 当初は思い付いた季節の事柄と、それに関係する品を扱う加盟店を落語の三題噺のように綴って行けば、止めどなく書き続けていられそうな錯覚をしていたが、全店回るのかと言われてみると、かなり無理がある事に気付く。この企画をまったく捨てないにしろ、何かしら、新しい企画を考えておかないと後で苦しむ事になりそうだ。
 と言う訳で、ブロガー自らが販促を兼ねた加盟店紹介は縮小し、ブログを読んで頂いた方が、《せいせき》で何かを購入する際の切っ掛けになるに留め、読者が店舗を決めようという時は、このホーム・ページのトップ・ページから探して頂ければ良いのではないか、と急遽勝手に一人納得させて頂く事にした。・・・これで、肩の荷が下りたと思っていいのかしらむ。

 また、【会長】の書く、他のブログの2、3人いる読者からも、最近ちっとも新ネタ・バカ話がアップされないが、又、何か悪い事でもして逃げ回っているのではなかろうかと、いらぬ心配もさせているようで、こちらの対策も考えないといけない。
 とりあえず、両方に掲載出来るような文体の工夫ができればいいのだが...。

                     ☆

 日々、重要な仕事ばかりしている訳ではないが、とにかく時間もかかれば手も掛かる作業が多い。とにかくブログのテキストはJack KerouacやBrion Gysinのように機関銃を撃つが如くタイプするのが必須だ。

 【会長】が1986〜1987年あたりから使っているコンピュータが《有史以来世界最初のパソコン》Apple Macintosh。現在、シェアではWindowsに大幅に水を開けられているが、昨年の春だったか、東京大学が学内に何百台かある、学生が自由に使えるPCをWindowsからMacintoshに総入れ替えしたと言うニュースにマック・ユーザーは溜飲が下がったものだ。
 マックだとWindowsマシンのようにウイルスにわずらわされずにすむし、教授がアメリカの大学とインターネットでファイルのやり取りをする際、その変換等でMacintoshの方が便利な点が多いとの事らしい。
 さあ、アップルよ、巻き返していこう!

 《せいせき》では《京王アートマン》の《さくらや》で実機に触る事が出来る。

【Text by 会長】

2006/12/07

新年の手帳を選ぶ


 

 年末が近づくと、来年の手帳・スケジュール帳を新調するのに苦労される方も多い事と思う。

 ところで、話がいきなり横道にそれるが、自分のエグゼクティヴ度を計る物差しとして、《毎日使う鍵を何個持ち歩いているか》と言うものがある。
 朝、自分の家を家人に送ってもらって出て、運転手付きの車で自分の会社へ行き、帰宅して玄関の鍵を家人に開けてもらえるのなら、この人の持ち歩く鍵は0個である。この反対に、家の玄関の鍵2個、車の鍵1個、事務所や店の鍵2個、金庫、ファイル・キャビネットのをそれぞれひとつずつなどと言っていると、これだけで少なくとも7個必要となる。ちなみに【会長】が持ち歩いているのは車の鍵を含めて4個-----ウ〜ン、微妙な数だ。

 さて、新年の手帳選びにもこの考え方は当てはまる。
 偉くなるにつれてスケジュールも秘書任せとなり、手帳類は一切必要ない人もいる。だんだん順位が下位に行くに従い、手帳の選択肢が複雑になり、仕事のカテゴリーごとに数冊に分けたり、システム手帳が弾けんばかりに厚くなっていったりするのを避けられない場合だってあるだろう。

 【会長】は、自分の会社だけを管理していれば良かった時は、スケジュールとプロジェクト管理はコンピュータで出来ているので大げさなものは必要なく、外出時に思い付いた事を控えておくための薄いメモ帳一冊あれば用は足りていた。それは、上の写真で言うなら、中央に写っているグリーンの表紙のような小さなスパイラル・ノートである。
 【会長】職を兼務するようになり、会議を五つも、六つも抱えるようになると、写真の一番大きいシステム・ノートに会議録をまとめて管理しておかないと、それぞれの会議でとったノートがバラバラになって、後で訳の判らない事になってしまう。でも、こういう大きなものは、本来、煩雑な業務を強いられる現場の実務者が持つものであって、上級管理職で、これを必要とするほど忙しい人はあまりいないはずだ。【会長】は、各種会議の他、ブログのネタ帳、趣味に関する事もまとめておこうとした結果、とうとうこれがベスト・チョイスとなってしまった。しかし、どこへ行く時もこんな重い大きなノートを持ち歩く訳ではないので、そういう時は、前述のグリーンの表紙のものか写真左のモレスキンと呼ばれるイタリア製の黒表紙のものしか持たないようにしている。
 この2種類は《京王アートマン》で年中手に入る。
 大型のノートの方は、デンマーク製のタイム・システムと呼ばれるもので、これは使いようによってはパソコンを凌ぐツールになり得る。なお、このメーカーは手帳メーカーではなく、この手帳を道具として《時間管理のノウ・ハウ》を売るビジネス・コンサルタントが本業である。残念ながら、これは日本の代理店から通販で入手するしか方法はない。

2006/12/06

鴨解禁中


 

 10月1日は鴨の禁猟解禁日だった。これから3月末日までフレッシュな鴨肉を食べる事が出来る。
 鴨は、どう料理するのが旨いか? フランス家庭料理の伝統的な調理法《コンフィ》も、なかなか味わい深く、重た目の赤ワインと合わせたい時などに良い。でも、日本人なら、季節柄、やはり鴨鍋が食べ時だろう。合わせる酒は、岐阜・土岐の三千盛か菊正宗の樽酒、あるいは土佐鶴の純米などのように、食材の個性を台なしにしないような謙虚な味わいのものを選びたい。

 さて、こんな事を書いていながら、現在進行中の神経痛の痛みが増幅するといけないという理由から、【会長】は、酒・刺激物の飲食、風呂など体温を上げるものは現在すべて禁止されている。本当は今週、年末の宴会予定が三つ入っていたが、残念ながら全部お断わりする事となった。だんだん寂しい師走になっていきそうなので、自分を元気付けるために何かひとつ人のためになる事をしようと、献血に行ったら「肝臓の数値がチョット悪いので、今日の採血は見送りましょう」と日赤からも採血拒否され、さらに著しく凹んだ。ああ、この年の瀬、何を生き甲斐にして生きていけばいいのか!

 年寄り臭い神経痛話は止めにして、話を鴨に戻そう。

 《せいせき》には、《春菜 (中央商店会)》という東京でも珍しい鴨鍋を得意とする店がある。寒くなると食べに行きたくなる、ここ《春菜》のおかみさんは、鴨鍋に焼酎を合わせるのも旨いとアドバイスしてくれた。

【Text by 会長】

2006/12/05

たったひとつ揃っていなかったもの


 

 と言う訳で、コナイダ、テレビ朝日から来年の新春ドラマ《めぞん一刻 (主演・伊東美咲)》の制作発表があった。

http://www.tv-asahi.co.jp/ikkokukan/


 当初は単行本4冊程度の中編にと原作者も考えていたようだが、予期せぬ大反響に、とうとう7年間も連載するハメになったようだ。ちょうどその頃、熱狂的な読者だった世代が、今、テレビ局の制作現場の中心にいるに違いない。

 当時、フジテレビでは30分アニメ96本、他に劇場用実写版1本、劇場版長編アニメ1本が制作された事を考えれば、当時のブームがどれだけのものであったか想像がつく。

 モデル地になった東京の東久留米市は、その頃は、そのアニメ人気を街興しに充分活用できなかったようだが、それに引き換え、現在ヒット中の映画《木更津キャッツアイ》は、アッという間に観客動員数100万人を超え、木更津市は、すかさず市民栄誉賞を授与、ちゃっかり街興しに役立ててしまったのは、うらやましい限りだ。
 その点、《せいせき》をモデル地にした宮崎アニメ《耳をすませば》は高尚なテーマを扱っているだけにマニアックなロング・セラーになってしまっているところが微妙で、今、桜ヶ丘商店会連合会の研究会で街興しの一環として揉んではいるが、正直、再度のブーム到来を望むところだ。

 さて、世の中には不思議な事があるもので、前述の《めぞん一刻 (劇場版アニメ)》のエンディング・テーマを歌った10代の歌手は《山口百恵のプロデューサーが陣頭指揮をとり、初期の松田聖子の制作スタッフがサポートし、何曲もの中から選ばれた曲に松本隆が作詞してデビュー曲とした》ほどの入れ込みよう。ルックスも可愛らしい上に、なんと言っても歌の上手さで他の歌手の追随を許さなかったにも関わらず、そのデビュー・レコードの売上枚数は、たった2万6千枚。彼女は、その後、芸能界で2年ほど頑張っていたようだが、後はサッサと見切りをつけてリタイアしてしまった。
 話が反れたが、つまり、彼女が売れなかったのは、その時代の大衆が、すでにアイドルというものを必要としなくなっていた事が最大の理由であると今では検証されている。彼女には、アイドルになる100の条件のうちの99が揃っていたにも関わらず、ただひとつ《タイミング》だけが揃っていなかったのだろう。

 現在30歳〜40歳位の人を除けば、《めぞん一刻》を良くはご存知ないかと思う。知らない方は、来春のドラマ放映時までお待ち頂くとして、知っている方・憶えている方は、その歌手・姫乃樹リカさんの歌う《めぞん一刻 (劇場版アニメ)》のエンディング・テーマをご一緒になつかしく聴きながら、今日はこれでお別れ致しましょう。

http://www.youtube.com/watch?v=R8N4Jhfyy2U

http://www.youtube.com/watch?v=Fy4t0Zd7ooA


 なお、《めぞん一刻》のテレビ放映版全集(めぞん一刻 DVD-BOX)、また、劇場版それぞれのDVD、ならびに単行本・文庫判書籍は、桜ヶ丘商店会連合会加盟の各ショップで、現在も入手可能である。

【Text by 会長】

2006/12/04

おばあさんとフランス海軍


 

 と言う訳で、朝日新聞12月2日(土)朝刊の「逸品! お取り寄せ」欄に山梨県勝沼町の《中央葡萄酒株式会社》が「県北明野村に新しいワイナリーを開き、昨秋に初めて仕込んだワインが飲み頃になった」という記事を見つけた。
 勝沼町等々力交差点のそばに本社のある中央葡萄酒は、今になってその名を聞けば、なつかしさが込み上げてくる醸造所である。

 ところで、葡萄畑は国を問わず、日当たりの良い丘陵地に作られるもので、その地形からして断層面が露出している土地が多い。当然、その断層面の地質によって葡萄自体の品質の良し悪しが決まる。断層は、ある一線で地質が変わるものだから、良い葡萄を収穫できる畑の農道一本隔てただけの隣の畑では、採れる葡萄の品質が格段に落ちるなどは当たり前にある話である。
 中央葡萄酒の所有する葡萄畑は勝沼でも特別良い土壌であると言われている所で、やはりひと味違う気がて愛飲していたのだと思う-----作家・山本周五郎が、ここの《マディラ・タイプ・ワイン》の愛飲者だった話は、知る人ぞ知る話である。

 以前、【会長】には山梨県石和温泉郷に長期滞在のできる宿舎があり、そこへ行った時は、隣町・勝沼の中央葡萄酒にも足繁く通ったものだった。
 週日の昼過ぎなどに行くと、家族は皆畑に出ていて、販売所を兼ねた本社事務所には-----と言っても、本社事務所は大きな農家の母屋の一隅である-----今は、もう亡くなってしまった、おばあさんが一人で留守番をされていることも多かった。
 そのおばあさんは、【会長】が買った葡萄酒の代金を支払おうとすると、「値段がいくらだったか憶えてないんで、お客さん(【会長】)は(単価を)良く知ってらっしゃるから、ご自分で計算なさって、お金を置いていって下さい」という商いが繰り返された夏もあった。

 さて、そんなおばあさんが事務所の鴨居に掲げてある何枚かの表彰状のうちの1枚を指差し、話をされた事が何度かあった。その欧文筆記体で書かれた珍しい縦長の書面は、駐日フランス大使のもので、東京オリンピックが開催される前の1962年、フランス海軍の練習艦が日本に寄港した際、ここ中央葡萄酒の商標グレイスワインを単独指定し、購入。書面は、その時の指定認定書であるという事であった。
 ワインの本場の国・フランスの海軍に、自分の畑から生まれた葡萄酒を納入する事が、このおばあさんにとっては、どれだけ誇らしい事であったか。

 サントリーやメルシャンなど、勝沼にも畑をもつナショナル・ブランドを除くと、セントラル・ワイナリー(中央葡萄酒)は勝沼の醸造家の中では出世頭である事に間違いはない。しかし、【会長】のように昔を知っている者にとっては、今はあまりにも立派なワイナリーに成長してしまい、おばあさんが元気でいらっしゃった頃のような-----フランス風に言えば-----《シャトー元詰(独立生産者醸造所内直詰)》の看板を掲げるにふさわしい鄙びた雰囲気が失われてしまったのは残念である。

 かつて、【会長】が好んだグレイスワインの上級シリーズ《メダイユ・ドール(金メダル)》は、もうすでになく、今は、さらに上級のシリーズと置き換えられてしまった。

 残念ながら、このブランドは、《せいせき》では手に入れる事は出来ない。

http://www.grace-wine.jp/index.html

【Text by 会長】

2006/12/03

夜中に小腹が空いたなら


 

 と言う訳で、ほぼ毎日更新予定の、この【会長】ブログをここ数日休載してしまったのは、以前にも少し触れましたが《五十肩》で左腕を使えず、パソコンをタイプ出来なかったのが理由でした。兎に角、あまりにも尋常な痛みではないので、とうとう行って参りましたよ-----知人に紹介された鍼灸師に。

 ストレスが掛かってくると、一般的には背骨沿いのツボのふたつくらいに痛みが出るようですが、【会長】は4ヶ所に痛みが出ていて重症-----実態は《五十肩》などのような関節炎の痛みではなく、立派な神経痛-----で、これは《五十肩》よりも痛かったんじゃないでしょうかねとは、その鍼灸師の弁。神経を使う今の商店会連合会【会長】職(一年半経過)に、やはり、身体の作りが、うまい具合に適合していなかったのが原因のようです-----生まれてこの方、あまりにも長期にわたり暢気な生活を続けていたのがいけないのでしょうね。

 【会長】職は来年の6月までが任期なので、残された日々、せいぜい《このブログ》でご奉仕したいと考えておりますよ。これを毎日更新したとしても、あと200回ほどしか書き込みが出来ず残念ですが、まあ、新聞の連載小説だと思えば、ちょうど一作分くらいの量で、文字数的にも決して少ない訳ではないので、頑張って面白いものを書いて参ります。

 今日、お世話になった鍼灸師は、丁寧に面倒を見てくれたので、今の腕の傷みは往時の3割程度になっていて、とりあえず良好です。どうにかキー・ボードに触れられるようになったのが、何よりも嬉しいです。

 ここからが、やっと今日の本題。
 この真夜中-----外気はすでに摂氏6、7度でしょうか-----パソコンに向かってタイプしている【会長】の部屋を暖めてくれている暖房機は、コナイダ、発作的に買ってしまった《火鉢型灯油ストーブ》。これは反射型とは違い、まったく昔の《火鉢-----対流型暖房機》の灯油版で、燃料を無駄なく煮炊きに使えると言うことから、経済重視の地方の旧家辺りでは人気のようです。部屋の湿度調節も秘蔵の鉄瓶の上げ下ろしで自由自在だし、わたし達日本人の《狭い和室・6畳間》には反射型よりも、こちらの方が理にかなっているみたい。
 反射型ストーブのように直に身体を暖めたい向きには-----この高さの低いストーブは、《股火鉢》という日本伝統の技も駆使する事が出来ます。
 また、ここだけの話ですが、この《火鉢》は夜中に小腹が空いたなら、餅も焼ければ、湯豆腐も出来る、スルメも焼ければ、お燗もつけられる-----さては、これがやりたいがために買ったんではあるまいな?!

 この《TOYOTOMI 火鉢型石油ストーブ》は、トヨストーブというブランド名でも有名なメーカーですので比較的どちらでも入手可能ですが、店頭販売価格にはいくぶんバラつきがあるようですので、お求めの際は、散歩がてら《せいせき》の街をアチコチを歩かれてみるのも宜しいかと思います。

【Text by 会長】

2006/11/28

心頭滅却するか、酒屋へ走るか


 

 と言う訳で、問題なのは、このプログをお読み頂いている方が、いったいどういう年齢層にわたっているのかが皆目見当つかないことです。できる事なら、それぞれの年代の方に「つまんな〜い」と言われないようなものを書きたいのですが、それがまたなかなか難しい。まあ、それも、追々、判明してくるでしょう。

 さて、今日は大人の老化ネタ・・・【会長】の四十肩、いえ、嘘を言いました、【会長】の五十肩のお話。
 半年ほど前に軽い五十肩になりました。重症の方は、寝返りも打てないほどの痛みが半年・一年と続くようですが、アタシの場合、その時は、とりあえずひと月程で治まりました。しかし、一昨日くらいから、再び今度は《五十肘》になりました。これが、また事の他痛い。とうとう今回は、この《せいせきshop.com》で鍼灸、カイロプラティック、指圧など、とにかく何でもいいからと当たってみましたが、昨今の高齢化の波で、ご隠居様達の予約でイッパイ。アタシのような50代の若者が「肘がイタイのよ!」などと言うくらいでは、とても予約に割って入れるような有り様ではなかったのであります。
「ウ〜ン、心頭滅却すれば、是肘又軽やか也」なんていう痩せ我慢は、とてもじゃないが出来ない、したくないっ。ア〜、でも痛い。

 この痛み、アルコールで紛れるのかしらむ。

 では、これからひとっ走りして、いつも懇意にして頂いている一ノ宮の《相原酒店》まで行って、焼酎の一本でも買って参りましょうかね。

【Text by 会長】

2006/11/27

手早く箸でかき回すのはヤメテ!




 【会長】の書庫の一隅に、大正7(1918)年5月に出版された、編集者・吉田静代さんの書いた《料理小説集》という、アンソロジーのような可愛らしい本がある。その冒頭、当時の大阪朝日新聞社会部長だった渡邊霞亭という人の「凄絶!」という捕鯨を題材にした小品の欄外に、《鯨肉のシチウ》という食べ物の《極めて怪しい作り方》が載っている。

 《鍋に鯨肉の赤身部分を細かく切ったもの、細かく切った馬鈴薯、四つ割りにしたタマネギと小口切りにした人参を水から中火でしばらく煮込み、アクをすくった後、塩少々と醤油で味を付け、そこに【水溶きメリケン粉を入れ、手早く箸でかき回し】、皿に盛った上へ胡椒を振りかけて出します。》

 この時代のシチューは、メリケン粉をバターで炒めてブラウン・ソースを作らなくても良いんですか? って言うか、途中からみりんを入れて《鯨肉の肉ジャガ》にした方が美味しそう。

 口直し、じゃなかったイメージ直しに、今日のお昼は中央商店会の《レストラン神谷》へ行って、ちゃんとした《ビーフ・シチュー》を食べてくる事にしよう。

【Text by 会長】

2006/11/26

江戸の味・下町の味


 

 と言う訳で、突然、無性に食べたくなるモノってありますよね。
 時折、通勤途中の【会長】に、そんな事を思い出させるのが明神橋通りにある《伊勢屋(南口商店会会員)》の稲荷寿司。こう書くと「じゃあ、オイラも・アタシも食べてみた〜い」と思う人も多いかと思いますが、《伊勢屋》の稲荷寿司を食べた今時の人の中には、味が濃いと感じる人もいるかと思います。でも、少なくとも東京オリンピック以前の東京でよく食べられていた稲荷寿司というのは、まさに《伊勢屋》製のように、甘〜く・辛〜く、味の濃いものが普通でした-----と言うか、それが江戸・東京下町本来の味付けだったんですね。ところがどういうことだか昨今、和菓子、洋菓子とも砂糖が控えられ、みたらし団子、稲荷寿司、きんぴら、煮物などは一応に甘・辛度が抑えられてしまいましたね。まあ、時代による味覚の変化と言ってしまえばそれまでなのですが、アタシなんざ、天麩羅でさえ、「こちとら東京生まれよ、チャラチャラした天つゆなんかで天麩羅が食えるかッ! 生醤油もっといで!」という口だから、最近の薄味の稲荷寿司を美味しいと思ったためしはありませんね。その点、《伊勢屋》の稲荷寿司さえあれば、下町へ出掛けるついでを待たずとも口に合った稲荷寿司を買えるので、実に大変重宝しておりますよ。

 ちなみに、ウンチクをひとつ・・・稲荷寿司を家庭で作る時の理想の大きさは-----油揚の大きさは決まっているから、詰めるご飯の量のお話ですが-----ひとつをふた口で食べられる程の大きさでです。

【美味は口に合わんことを期す】・・・うまい物は、何よりも口に合うことが大事である。
《出典》 後漢時代の歴史家・班固(西暦32-92)さんによって編纂された「漢書」揚雄伝下のなかにある一説です。東京外国語大学名誉教授・高橋均先生の翻訳のお世話になりました。

【Text by 会長】

2006/11/25

トースト・サンドウィッチと瀬戸際の女


 

 と言う訳で、最近は仕事を済ませると、中央商店会会員の-----今は珍しくなった個店の喫茶店と言うか、珈琲店の-----《ケトル・ドラム》へ寄って大好きなトースト・サンドウィッチを食べてから、映画のレイト・ショーを見に行くことがよくある。レイト・ショーは、日中の料金が1,800円のところ1,200円だから、割安感も充分ですね。

 映画は比較的吟味して観に行くタチなのだが、実はコナイダ、中谷美紀が主演していると言うミーハーな理由だけで、封切早々の《7月24日通りのクリスマス》を観に行ってきた。

 日本には1999年公開-----大分古い話だが-----のアメリカ映画《ユー・ガット・メール(メグ・ライアン、トム・ハンクス主演)》のような良質のラヴ・コメディがないので、是非とも《日本にもラヴ・コメディを定着させたい》という、今回、製作者側の熱烈な意図があったと聞く。
 そして、この作品のウリのひとつが、『電車男』の監督(村上正典)・脚本家(金子ありさ)コンビによると言うのだが、【会長】にとっては、むしろ2002年にフジネットワークで全国放送された大ヒット・ドラマ《恋ノチカラ(主演・深津絵里、堤真一)http://www.fujitv.co.jp/jp/b_hp/power/》の監督と、今年の夏に話題を呼んだヒット漫画が原作の水泳映画《ラフ(主演・長澤まさみ、速水もこみち)http://www.rough-movie.jp/index.html》の脚本家のコンビだと言うくくりの方が興味を引かれる。
 しかし、プロデューサーが「クリスマス・イヴに向けて、是非ともカップルで観にきてもらえるようなものを頼む!」と言ったとか、言わなかったとか...。それが理由かどうかは不明だが、少しばかり若い観客に媚びすぎという感じがしないでもない。
 まあ、いずれにせよ、中谷美紀が演じた等身大の女性・本田小百合について気付いた事なのだが-----女優が30歳くらいになった頃、次のステップとして《瀬戸際の女》という役を上手く演じられるかどうかが、その後の女優人生を占う試金石になるのではないかと...。

 Yahoo! JAPANの《シネマ トゥデイ》に名文があったので一部を引用したい。

 《『7月24日通りのクリスマス』は、地味で妄想の世界に理想の人を描いているOL、本田小百合が、あこがれの男性である奥田聡史との出会いで、美しく変身していくラブコメ風のシンデレラ・ストーリー。
 この日、作品の舞台となる長崎で行われたロケに登場した中谷は、ぼさぼさの髪に、ロングスカートという超地味スタイル。中谷自身も完全に“地味な小百合”役に入り込んでおり、存在感すら消し去りながら、まるで陰のようにスーッと現場を移動していた。
 その徹底した地味ぶりは、沿道の人どころか、取材陣でさえも、目の前にいる地味な女が中谷と気付くまで時間がかかるほど……。
 さらに撮影に入れば、小百合が驚きの声を上げるシーンでは「ひぇあっ!」という奇声を発し、男にもてない度200%の小百合を熱演する中谷に、取材陣からも驚きの声が上がっていた。 》

 画面の中で、転んだ時に一度手を離れかけたシンデレラの靴が、最後に、ちゃんと小百合の足に納まった時、観客皆もまた幸せを感じた一瞬だった。

《7月24日通りのクリスマス》
http://www.724-christmas.com/index.html

 さて、今夜【会長】が《ケトル・ドラム》で食べたトースト・サンドウィッチの中身は、あ〜、これはもう説明するのがもったいないので、是非とも食べに行って頂きたい。ゆっくりしたいのなら、ランチ時をはずして行かれるのがよろしいでしょう。サンドウィッチの中身はおおむね日替りなので、いつ食べに行っても飽きることはない。

【Text by 会長】

2006/11/24

解禁日の夜のポト・フ


 

 と言う訳で、今年もコナイダの16日の午前零時がボジョレー・ヌヴォーの解禁でした。勿論、その夜のうちに飲みましたよ、アタシは...。
 ところで、解禁日があるとは言っても、小売店に出荷するにあたり、輸入した販売代理店は、事前に小売店に試飲をさせてから注文を受けているようで、試飲は解禁前でも、とりあえず問題ないということらしい。でも、お店に納品されるボジョレー・ヌヴォーの外箱には、ちゃんと《解禁前の販売、消費を禁止します》と印刷されているので、立前では試飲もいけないに違いない。まあ、こんなディープな話は横に蹴っ飛ばしておいて、今日は、お酒と健康についてのお話をしましょう。

 さて、多摩市には誕生月検診というのが40才以上の市民に約束されています。アタシは8月生まれなので、今年の8月の検診時に医師に言われたことは、
「去年よりも体重が8kgほど増えているし、肝臓もいくぶん弱っています。来年までに体重を戻して、お酒を摂生しないと、来年は病名がふたつほど付くかもしれませんよ」と言うことだった。これは困った。人生の選択をしなくてはならない。

1. 細く長く生きる・・・一般的には理想の人生か?
2. 細く短く生きる・・・これは、ちょっと可愛そうだ。
3. 太く短く生きる・・・これはこれで良しとする方も多い。
4. 太く長く生きる・・・これは、家族に迷惑な生き方、出来たら避けたい。

 と言う訳で、会長は【3番】を選択しました。ちなみに【会長】の妻も例外なく、【4番】だけは勘弁してくれと言っております。

 さて、今年もアタシがボジョレー・ヌヴォーを頂いたお店は、中央商店会会員のショット・バー《DAN》であります。ここは一年のうちで、ボジョレー・ヌヴォーの解禁日の夜にだけ、マスターが特別に作る Pot-au-feu が名物になりつつあります。

 それでは最後にここで、弁護士であり、翻訳者である山本博さん翻訳の一節をご披露して、今日の無駄話を終わりにしましょう。

【酒を飲んで害があるとすれば、酒が毒だからではなく、素晴らしいものであるために、つい飲みすぎてしまうからだ。】・・・アメリカ第16代大統領 エイブラハム・リンカーン(1809-65)

【Text by 会長】

2006/11/23

魔法の枕かも


 

 日頃、商店街を歩いていると、時折、とある店の前で、そこの店主に遭遇する事がある。立ち話などをしていると、《いずれ機会があったら購入したい》と考えていたものを急に思い出したりする事も多い。

 コナイダ、明神橋通りを歩いていると、《ふとんのトミー初夢(南口商店会)》の前で若い方の社長に会った。来年4月の《せいせき桜まつり》の挨拶回りの段取りなどを話しているうち、アタシは思い出しましたよ、枕を買おうと思っていた事を...。

 【連合会長】は学生時代に山岳部に入っていて、山で寝る時は、スタッフ・バッグという整理用の巾着袋に使っていない衣類を詰めて枕としていました。そんな、ど〜しようもない習慣から、ここ20年ほど、自宅では、ちゃんとした枕など使った事がなかった。

 そんな中、ここ数年、夜中に実によく目が覚めるようになった。てっきり歳のせいだと思っていたが、もしかして枕を改善したら、また別な結果が期待できるかもしれないと考えた。

 と言う訳で、その日、《トミー初夢》の若い方の社長に選んでもらったのが、日本のトップ・ブランド、西川寝具の《医師がすすめる健康枕・デラックスタイプ》という製品。
 二晩、この枕で寝てみました。オイ、オイ、オイ、オイ、夜中に目が覚めなくなったぞ。これは、魔法の枕かも...。
 《不眠症》になったかと心配する前に、この枕にすがってみるのも良いかもね。

【Text by 会長】

2006/11/21

早くも正念場か?


 

 昨日スタートしたばかりだというのに、この【会長】ブログが、今日、いきなりコケたというお話の顛末。

 大体、【会長】のブログは無駄に長文になるという噂もしきりだし、やたら写真も貼り込みたがる性分だから、サーバーの文字制限を超えてしまい、テキストを貼り込めなくなってしまったというのが真相のようだ。どうやら初期設定が700文字くらいになっていたらしい。しかしながら、昨日は、うまい具合にギリギリでクリアしていたみたいです。

 と言う訳で、このHPのサポート会社のSEのO君にお願いして、文字制限を2,000字に設定し直してもらおうとしたんですが、O君も忙しいようで、残念ながら今日は間に合わなかった。

 さて、本日掲載予定の-----700字では納まり切れない-----テキストは、また後日という事で...。

 オイ、オイ、オイ、オイ、書き込み2日目で、早くも正念場か?

【Text by 会長】

2006/11/20

ご挨拶


 コナイダ、とある会合で、ある方から「会長、アンタ、いったいいつになったらブログ始めるのんや?」と言われた。最初、何の事かと思っていたら、どうやら《せいせきshop.comの会長ブログ》の事のようで、イヤハヤまったく忘れておりました。
 会長自らのブログもあったりして、《せいせきshop.comの会長ブログ》に書き込む習慣が出来ていなかったのが失念した最大の理由でありますね。失礼を致しました。と言う訳で、予定表にスケジュールしましたので、これからは頻繁に更新していきたいと思います、毎日、イヤ出来るだけ毎日、イヤ出来たら毎日、イヤおおむね毎日かな(いったい、どうなのよ!)をめざします。

 それでも「今年の5月と7月に更新してるじゃないの?」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれないので、一応、ご説明しておきますと、この《せいせきshop.com》のHPをサポートして頂いている会社の頼りになるSEのO君が、あまりにも会長が書き込まないのにシビレを切らして代筆してくれていたようです。感謝。このまま代筆を続けてくれていても、決して迷惑ではなかったんですけどね。

 さて、ブログのタイトルに《会長オススメのお店や、せいせきのスポット紹介など更新していきます》とありますが、これからこの先、ブログを更新するために毎晩飲んで、毎日食べて、毎日買物し続ける事になるのでしょうか。と言う事は、健康を損ねるか、財力が尽きたところで会長交代か? だとすると、会長交代は存外近いぞ。

【Text by 会長】

2006/05/01

サイトオープン!!!

遂に『せいせきshop.com』がオープンしました。

せいせきを愛するみなさんにいろんな情報を提供していこうと思っています。これからよろしくお願いします!

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